Opera Report

オペラ公演、映像の感想など

2016.3.2 新国立劇場「イェヌーファ」

新国立劇場 オペラパレス 18:30開演

 

「人生ってこんなものだと思わなかった」

主人公イェヌーファは劇中でこう呟く。公演パンフレットの中で、演出家のインタビューの見出しにもなっていたセリフだ。

 

誰しも、人生は素晴らしいものだと信じたい。「人生山あり谷あり」「人生って素晴らしい」「人生いろいろ」「人生夢だらけ」。昨今いろんな言い回しがあるが、予想もつかない絶望的なことが起きたとき、心の底から自然に湧き出てくる言葉がイェヌーファの言葉ではないだろうか。

 

男前で、村娘の注目を集めるシュテヴァと結ばれた時、イェヌーファはこの先に待ち構える悲劇など予想だにしていない。これから訪れるのは彼と過ごす幸せな日々、そう思って幸福の絶頂にいたことだろう。

 

その一方、イェヌーファと幼馴染で、シュテヴァと腹違いの兄弟ラツァは、イェヌーファに想いを寄せつつ、屈折した嫉妬に打ちひしがれている。彼を軽くあしらうイェヌーファに悪気はなくとも、彼女の態度、表情、言葉が男心を深く傷つける。幸福な人には、苦しむ人間の暗さを想像できない。

 

こんな若い3人を見守るのは、ブリヤ家の家長であるおばあさんと、コステルニチカと呼ばれるイェヌーファの継母。コステルニチカはイェヌーファとシュテヴァの関係をよしとしていない。それは彼らが実質いとこ同士である以上に、シュテヴァがコステルニチカの死んだ夫同様、ブリヤ家の酒飲みで荒い気性を受け継いでいるからだ。

この男と結ばれてもその先に幸福はない、あるのは魂をすり減らすほどの苦悩のみ、ということをコステルニチカは知っている。それを体験した本人なのだから。

 

イェヌーファが身ごもったシュテヴァの子。コステルニチカにとって、そんなものは自分の人生、そして娘の人生において悪でしかない。小さな農村の狭いコミュニティの中では、その存在があるだけで社会的破滅を意味する。コステルニチカにはそうとしか思えない。その絶対的規範の前では、赤子の命の重さなど無に等しい。

 

この話の舞台はモラヴィアのとある村となっているが、少し前の日本の農村でもありそうな話である。閉鎖的なコミュニティ独特の「村社会」は、日本だけのものではないのだと、このオペラを観て再認識した。

 

絶望的な悲劇の締めくくりは、どん底で終わるのではない。ラツァはイェヌーファの過去を許し、2人は重荷を背負いながらも未来へと一歩を踏み出す。

 

今回のクリストフ・ロイの演出では、この物語が白い長方形の部屋の中で繰り広げられるが、ラストでは奥の壁が取り払われ、二人が暗闇へと歩き出すシーンで幕を閉じた。

 

始まり方もユニークであった。警察官のような制服を着た女性に導かれて、コステルニチカが長方形の部屋に入ってくる。女性の表情は冷たい。そう、ここは独房なのだ。不自然なまでに白い密室。コステルニチカの回想、あるいは供述がこの物語というわけだ。

 

コステルニチカは始終暗い色の服を着ている。一方、イェヌーファは目も眩むような真っ赤なワンピースに身を包んでいる。彼女の若さを象徴する色なのだろうが、白い空間で動き回る彼女は、ほとばしる鮮血のようにも感じられる。

 

歌手は総じて高水準。中でもコステルニチカを歌ったジェニファー・ラーモア に多くの拍手が送られた。ロジーナやカルメンの録音もあり、若いころはその容姿も相まって人気を博したメゾ。2003年の小澤征爾音楽塾の「こうもり」でオルロフスキーを歌っていたのを聴いたのが最後の実演。年齢を重ねて、複雑な役柄を見事に演じることのできる、別の魅力を持った歌手となっていた。こう考えるとメゾは年齢を重ねてからでないと、声も演技も様にならない役が多い。1人の歌手がいかに変化していくか、楽しめる声種であるといえる。

 

タイトルロールを歌ったのはミヒャエラ・カウネ。2010年、新国立劇場の「アラベッラ」のタイトルロールを歌っており、その時も安定感と役作りが魅力的であった。今回はなかなかの体力勝負だったと思うが、乱れない歌唱と演技だった。

 

ラツァのヴィル・ハルトマンは通る声ではないが、この役に求められるものは満たしていた。ベテラン、ハンナ・シュヴァルツは安定した存在感を発揮。今回は「サロメ」のヘロディアスと交互に歌ったわけだが、欧州の歌劇場ではままあることだ。しかし、これが日本の劇場で行われたということは、やっとこの劇場もオペラハウスとしての充実度を増してきたといえるのではないだろうか。

 

トマーシュ・ハヌスの指揮は、チェコ独特のリズムや節回しを色濃く感じさせるもの。音の鋭さと丸さをはっきりと出し、東響もしっかりとそれに応えていた。

日本のオペラ界を牽引する存在である新国立劇場。数年に1度、このような日本のオペラシーンに変革をもたらすような好プロダクションを届けてくれている。今後にも期待したいものだ。