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オペラ・レポート Opera Report

オペラ公演のレポート、オペラ映像の視聴記録など

2016.6.6 東京文化会館 プラチナ・シリーズ1 クラウス・フロリアン・フォークト

東京文化会館 小ホール 19:00開演

 

新国立劇場ローエングリン」のタイトルロールで、ここ数週間の東京のオペラ・シーンがフォークト一色に染まっている感がある。その彼が歌う「美しき水車屋の娘」(個人的には長年親しんだ「水車小屋」という呼び名の方が、日本語としてはシックリくるが、最近はこの表記が多い)。

 

2013年の東京・春・音楽祭でも同プログラムで同会場に登場したフォークト。その時は会場に足を運べなかったが、聴いた方の話を聞くと、今回は3年前より成長し、円熟味を増した歌唱になっていたのではないだろうか。今回もチケットは完売し、名前の通りプラチナ・チケットとなった。

 

フォークトの声は、流れるように自然で、ナイーブで、優しい。比類なき美しさを誇る高音は、「力強く張る」というのではなく、空気を自然に振動させているかのよう。まるで声に翼が生えており、聴衆の頭上を軽やかに飛びまわっているかのような感覚である。

 

この作品は「冬の旅」と並ぶシューベルトの偉大な歌曲集であるが、現代の私たちから見ると、どちらも”偉大なる中二病作品”とでも呼びたくなるような内容だ。若い男が恋をし、破れ、絶望し、その身を自然に委ねる。若さからくる「青さ」が惜しげもなく盛り込まれている。

中二病”と揶揄するような言葉を使ったが、これは決して悪いことではなく、誰もが通る道なのだ。心の中に描く「美しい娘」は人それぞれであろう。自分の若かりし頃のパーソナルな記憶にまで入り込む、優しく、切ない旋律。それを、触れば壊れてしまいそうなナイーブさを持つフォークトの声で聴けたのだから、満足度は高い。

 

フォークトのドイツ語は、なぜかまろやかだ。ドイツリートというとツバを飛ばして歌っている印象があったが、彼が歌うと時にフランス語のような柔らかさすら感じる。私はドイツ語が話せるわけではないが、ドイツ人が聴くと彼の発音はどうなのだろうか。私には舌足らずのようにも聞こえるのだ。これがまた、得も言われぬ「未熟さ」「若さ」を感じ、この作品には合っているようにも思える。

 

今回は「ローエングリン」では感じなかった、弱点も垣間見えた。それは中低音での早口。それは7曲目「いらだち」や、11曲目「僕のもの!」で感じた。しかし、各節の最後には彼の得意な高音が待ち構えており、「終わりよければすべてよし」となってしまった。それにしても、しみじみと語りかけるように歌う部分や、高音の伸びは素晴らしい。弱点を補って余りあるが、ここをクリアしてしまったら、それこそ怪物のようなスーパーテノールだ。

 

ヨプスト・シュナイデラートは、全編を通してフォークトに寄り添ったピアノを聴かせたが、3連符など細かい音の粒が荒い部分も。

 

配られた対訳はバリトンの河野克典氏によるもの。非常に読みやすく、違和感なく入ってくるものだったが、会場が暗すぎて演奏中に目を遣ることはできなかった(対訳をめくる音に注意、とアナウンスが入っていたが、私よりも歳の多い人がほとんど故、誰も見なかっただろう)。しかし、これがけがの功名。舞台上のフォークトを観ていると、ドイツ語が完璧に分からずとも、なぜか内容が分かるのだ。これはリート歌手に持っていてほしい能力の1つ。

 

オペラ、リートを通じてレパートリーはまだ多くないフォークトだが、ゆっくりとリートのレパートリーも増やしてほしいと思わせる宵であった。じっくり歌いこんで、声を壊さぬように活躍を続けてほしいものだ。