Opera Report

オペラ公演、映像の感想など

2016.5.23 新国立劇場「ローエングリン」

新国立劇場 オペラパレス 17:00開演

 

2012年のプレミエでもタイトルロールを歌い、日本のオペラ界に衝撃を与えたクラウス・フローリアン・フォークトが、また同役を歌った。他の誰とも違う、まっすぐで澄んだ声でありながら、声量は十分。音の変わり目でも全く角のない声は、まるで丁寧に濾した生クリームのよう。天衣無縫の声とは、まさにこのこと。

 

ローエングリン”という、一般の人間からかけ離れた騎士の役にはぴったりの声と容姿。所謂「ヘルデン・テノール」というのとは違うのかもしれないが、彼が舞台上に現れると、そこにローエングリンそのものが現れたような錯覚に陥る。

 

エルザを歌ったマヌエラ・ウールも、典型的なワーグナー・ソプラノではなかった。非常にリリックな声で、まるでパミーナを聴いているかのよう。それでいて声量も十分。見た目も小柄で、夢見る乙女像にぴったりとはまった。ワグネリアンの皆様の目には、この主役2人がどのように映ったかはわからないが、ワグネリアンでない私は、説得力があり、とても自然であると感じた。

ハインリヒ王のアンドレアス・バウアーは、若いながらも底鳴りがするような、素晴らしい低音を聴かせてくれた。オペラの冒頭からハッとさせられる声。ザラストロなんかで聴いてみたい(さっきから喩えが「魔笛」ばかり・・)。

ベテラン、ペトラ・ラングのオルトルートも、会場を大いに沸かせていた。思っていたよりもストレートで綺麗な声だった。この役にはもう少し凄みがあればな、と思わないでもない。

テルラムントを歌ったユルゲン・リンは調子が悪かったのか、音程が不安定な部分も多々あった。「ばらの騎士」の時はそんなに気にならなかったが、声質も荒いように感じた。これが、テルラムントのキャラクターを見据えてのキャスティングだったら、凄い。

脇役の日本人勢が、これまた豪華。ブラバントの貴族4人が望月哲也、秋谷直之、小森輝彦、妻屋秀和という二期会では主役級の布陣。彼らは黒づくめにサングラスという恰好で登場。なんだか楽しんで演じているように見えた。伝令の萩原潤も、スッと通る気持ちのいい声。

新国立劇場合唱団は相変わらず素晴らしい。合唱が重要な役割を占めるこのオペラ、しかもワーグナーなのだから、合唱指揮の三澤氏の腕も鳴るところだろう。

ローエングリン登場の場面、男声合唱が各パート別々に「Schwan!(白鳥だ!)」と歌うところでは、各パートが舞台上の様々な場所から聞こえてきて立体的。生で観る醍醐味を、ここでも感じられた。

 

演出は、新国立劇場とはなぜか関わりが強いマティアス・フォン・シュテークマン。プレミエの時もそうだが、ブーイングがしっかりと出た。物をあまり置かない舞台はいいのだが、置いてあるものの意味の理解に苦しむ。

1幕では引っ越しの梱包用パネルのようなものが積み重ねられ、2幕1場では楽器輸送に使うような黒いトランクがおかれる。2場ではバネのような螺旋状のメタリックなオブジェがつりさげられている。3幕では果物を包む梱包材を変形させて様なオブジェが転がる。「守る」「保護する」という意図があるのだろうか。

舞台奥、正方形のセルが壁一面はりめぐらされ、そこに映像(というか色?)が映し出される。綺麗は綺麗なのだが、ローエングリン登場の時には白鳥の群れが羽ばたくような映像、祝祭の場面では花火が映るという陳腐なアイディアはいかがなものか。

 

なにはともあれ、主役2人の声の力で充実感を得たられた公演。しばらくは”フォークトの呪い”に縛られそうである。