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オペラ・レポート Opera Report

オペラ公演のレポート、オペラ映像の視聴記録など

2016.2.24 小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトⅩⅣ 喜歌劇「こうもり」

愛知県芸術劇場 大ホール 18:30開演

 

 今回で14回目を迎えた小澤塾のオペラ。「こうもり」は通算3回目の上演となるが、毎回舞台装置が違う。

 

小澤氏は事前のインタビューで「いい歌手を集めたし、トラックの数も多い。いい上演になると思う」というようなことを言っていたようだが、確かに今回の装置は巨大なトラック何台分もの物量があったことは想像に難くない。なんでもMET所有、オットー・シェンクの演出で使用した装置だそうだ。

 

やや慎重に聴こえる序曲が終わり、幕が開くと客席からはため息が漏れた。正しい「こうもり」教育を受けたオペラ・ファンが想像するのと寸分違わぬアイゼンシュタイン家の居間。バイエルンやロイヤル・オペラの映像を見て育った人々も頷く、アイゼンシュタイン家の居間。奥にはサンルームがあり、なだらかに弧を描く長い階段が目を引く、アイゼンシュタイン家の居間。

 

 ここで繰り広げられる、家庭を少し脱した家庭劇。

 

消極的な意味で賛否両論ある演出家デイヴィッド・ニースだが、今回は王道を進みつつも、登場人物を生き生きとさせる細かいアクションがついていたように思う。例えば1幕終盤、アルフレートがアイゼンシュタインのナイトガウンを着てくつろいでいるところに刑務所長フランクが迎えにくる場面。ロザリンデは別れのキスを、指を介した間接キスで済まそうとするが、それは決してアルフレートを邪険に思っての行動ではない。むしろ、今まで逢瀬を重ねてきた2人の間だけで通じる”お遊び”なのではないか、と想像してしまう。アイゼンシュタインとの間以上に”ツーカー”感を感じさせるこのシーンは、意外に少ないのではないだろうか。

 

2幕のダンスシーンでは「ハンガリー万歳!」と「雷鳴と電光」が演奏されたが、後者では東京シティ・バレエ団のダンサーと歌手とが入り乱れて踊る。ここで人々は腕を組んで列を成し、足を上げて踊るのだが、ファルケだけがそこに入りそびれ、踊りの列に追い立てられてしまう。アイゼンシュタインをはじめ、様々な人にコケにされがちな「こうもり博士」の人物像がここで浮かび上がってくる。

 

名優・笹野高史演じるフロッシュはお決まりのギャグを交えつつ、フランクと日本語・ドイツ語をミックスして劇を進めていく形は面白い。

 

ギャグと言えば、アルフレートが他のオペラのアリアを歌って客席を沸かせるのが定番だが、今回は「誰も寝てはならぬ」の最後の" Vincero' "をオケ付きでやっていた。ネタに対する熱の入れ方が違うなぁ、と感心する一方、やりすぎな感も否めなかった。この他「ラ・トラヴィアータ」の二重唱をロザリンデとアルフレートが歌ったり、3幕でアイゼンシュタインが出頭する時に「メリー・ウィドウ」のダニロ登場のメロディーを口ずさんだり、細かいネタがちりばめられていた。しかしながら客席はついていけなかったのか、笑いは少なかった。個人的に、このダニロはかなりウケたのですが・・・。

 

歌手はアイゼンシュタイン役のアドリアン・エレートが役にピッタリ合っていた。軽く、気品のある声、考えていることがすぐにわかってしまうようなニヤケ顔、ハメを外して踊る姿、まさにアイゼンシュタイン。数年前に新国立劇場の「こうもり」で同役を観たが、以前にも増してこの役が身についていたように思う。

 

最近米国のみならず欧州の歌劇場でも名前をよく見かけるディミトリー・ピタスは、明るい声が心地いいテノール。こちらも能天気なアルフレートによく合う声だった。ただ序盤は音程がフラット気味。

 

フランクを歌ったデール・トラヴィスは初めて聴くが、張りがあり非常に綺麗な声のバス・バリトン。米国ではかなり活躍しているようだが、是非もっと主要な役で聴きたい!と思わせる歌手だ。

 

ロザリンデ役のタマラ・ウィルソンはまだ若いようだが、中低音が充実したソプラノ。「チャールダーシュ」では彼女の持ち味を十分に発揮。ドスの効いた低音で、所謂”ハンガリー風”を演出していた。アイゼンシュタインもアルフレートも、彼女を抱き上げることはできないだろう、という見た目ではあった。

 

小澤オペラでは常連のベテラン・キャラクター・テナー、ジャン=ポール・フーシェクールはさすがに歳を感じさせる声ではあったが、その身長、安定の演技で存在感を示し、舞台を引き締めた。アデーレ役のアナ・クリスティはやや声が細いものの、綺麗な高音をもつソプラノ。ただアジリタは弱く、レガートで歌っている部分が多かった。

 

ファルケ役のザッカリー・ネルソンは悪くないのだが、いかにも「アメリカ人」といった印象を受けるざっくばらんな演技と声(ざっくばらんな声って何だ!と聞かれても困りますが、そういう印象なのです)。オルロフスキーのマリー・ルノルマンは期待していたのだが、明らかなる声量不足。しゃがれた声でアンニュイな青年貴族の雰囲気は出ていたのだが・・・。

 

指揮は全体を通して穏やかなテンポ。クライバーのような「はち切れんばかりの活気」がない代わりに「優雅さ」の片鱗を感じることのできる箇所もあった。ウィンナ・ワルツはやはり難しいらしく、あまり無理して”ツッかけよう”としていない三拍子に留まっていた。やりすぎよりは印象がよい。

 

塾生たちのオーケストラはやや音程が・・という部分がなくはなかったが、充分なレベル。合唱は非常にまとまりがよく、聴いていて気持ちよかった。松下京介が合唱指揮で入っており、これからの彼の活躍が期待できる仕上がりとなっていた。

 

5階席の中盤の列に座っていたため、ピットの中の小澤氏は全然見えなかった。なのでどこで村上氏と振り分けをしていたかも見えなかった。

 

5階席は、オペラを観に来たというより小澤さんを見に来た人々で埋まっており、ピット袖から「コンコン」という乾いた音が聞こえると、多くの人が起立してピットをのぞき込んでいた。それは「身を乗り出して」という類の生易しいものではなく、ほんとうに「起立」していたのだ。

 

そういう区域だからこそ、周りの人々は装置やストーリー、ギャグやダンスなどへの反応が素直で、気取ることなく笑い、歓声を上げていた。

 

終演は22時を回り、地下鉄に通じる地下道は閉鎖されていた。人々は北風吹きすさぶ名古屋の街へと放出された。帰りに寄った店では、3組の「こうもり帰り」客に遭遇し、そのうち2組がスパークリング・ワインをボトルで注文していた。すべて泡のせいにして夜を楽しむ。そんなことができる大人に、わたしはなりたい。

 

 

小澤征爾音楽塾HP

http://www.ongaku-juku.com/j/program/2016/